欧州の軍楽隊をベースに編成されていました。
ワルツ(シュトラウス、レハール、ワルトトイフェル)、ポルカ、マーチなどを演奏していました
また日本の軍楽隊の記録は下記の通りです。
外務省記録「三大節関係雑件 天長節之部」に、1893年(明治26年)の天長節(11月23日)に開催された祝賀行事の際の「演奏曲目」が残されています。それによると、演奏は陸軍軍楽隊が行い、指揮は陸軍軍楽隊長の四元義豊(よつもと・よしとよ)が務めました。演奏曲目は、マイアベーアの「戴冠式行進曲」から始まり、ワグナーの「ローエングリン」の前奏曲、邦楽の祝儀曲、レオン・チックの「チロル民謡の主題による変奏曲」や幻想曲など9曲であったと記されています。
エドゥアルト・レメーニ(Eduard Remenyi または Reményi Ede, もとの姓は Hoffmann, 1830年1月17日 エゲド Eged - 1898年5月15日 ニューヨーク)はハンガリー出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。
ブラームスの青春時代に演奏旅行をともに行なったこと、ブラームスに同郷のヨーゼフ・ヨアヒムを引き合わせたこと、さらにはブラームスの《ハンガリー舞曲集》をめぐって盗作の疑いで訴えたことなどで、ドイツ・オーストリアの音楽史に名を残した。兄のレメーニ・アンタルは旅行家・作家。
レメーニは1886年7月に伴奏ピアニストのイシドール・ラックストーン、ソプラノ歌手ルイーザ・マルケッティ、そのメイドとともに来日。まず神戸の居留地にあった劇場で2公演を行い(日本人の観客はゼロだった)、その後横浜に向い、8月に居留地で5公演開いた一方で、8月10日には昼に明治天皇ほかの御前演奏、夜には鹿鳴館で演奏会を開いた。御前演奏には、明治天皇のほか昭憲皇太后や、小松宮彰仁親王と有栖川宮熾仁親王の御一家などが出席した。なお、この演奏会が昭憲皇太后以下の女性皇族が宮中で初めて洋装を着用した場となった。
レメーニがこの来日でどのような曲を演奏したか、日本の新聞は全く伝えていない。当時の一般的な日本人の、西洋音楽に対する知識のなさのあらわれでもある。現に、当時の東京日日新聞(8月12日付)ではレメーニに関して「中年を越えたる年輩にして頭は半禿げ眼光鋭くして一見して其技芸の達人たる容貌を備へたり」、「絶技のワイオリン(ヴァイオリン)を奏したるに序破急の調子の妙なる聴くものをして茫然たらしむに及へり」など、容貌とか演奏スタイルに関しては長々と書いてはいるものの、演奏曲目は一切書かれていない。曲目に関しては、横浜で発行されていた英字新聞によると、横浜の演奏会ではクロイツェル・ソナタ、パガニーニのカプリース、レメーニ編曲による小品などが演奏されたようである。また、8月11日に行われた日本での最後の演奏会では、演奏中に按摩師の笛の音が演奏会場に聞こえてくるハプニングがあり、レメーニはこれに激怒して演奏を一時中断し、音が聞こえてきた方を睨みつけていたという。